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2021/01/24 12:58





今や国民食となって、ラーメンを食べたことが無い日本人など居ないのではないでしょうか!?

現代の日本風ラーメンが巷に広がったのは明治後期、大普及したのは戦後の屋台からの話で
それ程歴史のある食べ物ではありません。

都市伝説的に「日本人で初めてラーメンを食べたのは、水戸黄門」という噂が流れていますが、果たして本当なのでしょうか??


結論から言うと 「ハッキリとは解らない・・・・」
でも 「残っている記録だけが正しいとするのであれば、その可能性は極めて高い!」っと言えます。

江戸時代以前から中国人は頻繁に来日していますから、どこかで誰かが食べていたかもしれない。
でも記録は何も残っていないのです。


水戸黄門が日本人初のラーメン試食者であるという説は、以下の事実に基づいています。

■ 光圀は大の“うどん好き”であった ■

代々水戸藩では、ハレの日の膳に「うどん」が振舞われていたそうです。
そして光圀は幼少期からうどんが大好きでした。
しかしハレの日の膳にしか出されないので、普段は食べる事が出来ません。

ところが6歳になると、水戸の若殿として江戸城に移り住むことになりました。
当時の水戸藩邸は江戸城内にあり、水戸藩には参勤交代が無く江戸常駐が常でした。

江戸の町遊山に出掛けては、うどん屋を見つけは食べ歩いていたそうです。

中でも最も気に入ったのは浅草の「瓢箪屋(ひょうたんや)」という老舗うどん屋で、足繁く通い詰め、うどん造りを見学していたそうです。

光圀のうどん好きは家臣の間でも有名で、実際に「原忠右衛門」という家臣には、
暑中見舞いに訪れた際に労をねぎらって手製うどんと冷麦を振舞うほどの“麺打ち名人”だったのです。

しかし御三家若殿が勝手に町を練り歩くのですから(当然、数名の家臣は同行していたでしょうが)
水戸黄門のTVドラマ番組は、ここから来ているのかも知れませんね。
「大日本史」の編纂は手掛けましたが、光圀が諸国を漫遊したという事実はありません。


■ 光圀、初ラーメン試食者の決定打 ■

勤勉でもあった光圀は、師として明国から「朱 舜水(しゅ しゅんすい)」という儒学者を江戸藩邸に迎え、その後17年間を共に過ごす事になります。
(※朱舜水が光圀の元に来た時には明は滅んで清王朝になっていた)

朱 舜水は、水戸上屋敷であった小石川藩邸の庭:後楽園の造園や建物建築設計を行った人物で、湯島聖堂にもこの設計図が用いられています。

 (※画像元 ウィキペディア

藩邸に迎えるに当たり、光圀は得意の手製うどんで朱 舜水をもてなしました。

うどんを打つ光圀を不思議に思った朱 舜水は、何故、こんな美味しいうどんが作れるのか尋ねたところ

「我若き時、江戸浅草辺にてこれを造るを見て、度々その真似をしてその拍子を覚え、後しバしバ手製したり」
  (※光圀の言行をまとめた資料「西山遺聞」より)

と答えたと言われます。


光圀の麺好きを知った朱 舜水は、お礼に麺の本場:中国から
平打ち麺造りの材料である「藕粉(オウフェン)」と、スープ出汁に使う「火腿(フォトゥイ)」を取寄せて
光圀に献上したそうです。

「藕粉(オウフェン)」とは、レンコンから採った澱粉で麺の繋ぎに使用します。
「火腿(フォトゥイ)」とは、豚腿肉の塩漬けで、中国式ハムみたいなモノ。

この献上は1度や2度ではなく、幾度となく度々献上品目録に登場しています。


この事から光圀が中国平打ち麺を食べていた事は、おそらく間違いの無い事実という観点から

「日本で最初にラーメンを食べた人物は水戸黄門」という説が起こったのです。


ところが残念なことに、光圀がこの中国平打ち麺を実際に食べたという記録は残っていません・・・・


当時の日本(江戸)には「拉麺」という言葉が無く、その存在も明確化されていなかった為かと思われます。


『朱 舜水の献上品を使って “日常的に食べていた{うどん}” を造った』

という認識から、あえて記録に残さなかったのかも知れません。



厳密には{かん水}を使用していないので、現代日本のラーメンを食べたとは言えません。

でも『中国製麺を初めて日本国内で食べた人物』なのかも知れませんね♪